桜前線捕獲大作戦追跡大作戦
どうでしょう班の足跡をたどる旅
水曜どうでしょうという番組がある。この番組内の企画で、「桜前線捕獲大作戦」という旅があった。桜前線を追い、その先端に咲く桜を発見するというだけの旅だ。ただそれだけの旅で通った道を俺たちも通ってみよう。俺たちの旅もただそれだけの旅だ。
4月19日(土) 明け方
どうラー集合
2003年春。日が昇り始める頃、私とさーら隊員、夏隊員の3人は木更津を出発。一路北上し、埼玉県でYukky隊員と合流。東北自動車道に乗り進軍を開始した。
4月19日(土) 昼
仙台に上陸
1日目の昼食は牛タン弁当。 食後はずんだもち。夏隊員は撮影のみでずんだはナシ。
我々は順調に北上し、予定通りの時刻に仙台上陸を果たした。仙台駅で駅弁「牛タン弁当」を3つ購入し、青葉城址公園へ向かった。ここはどうでしょうの別企画「対決列島」でずんだ対決が行なわれた場所。まさに大泉が座ったかもしれない座席に陣取り、牛タン弁当を食う。仙台に工場があるというキリンビールも飲む。現地のものを現地で味わうのが幸せというものだ。

食後はずんだもちを購入し、1皿を3人で分けて食う。1人たった1コ……。いや、1コで十分。もう当分いらない。枝豆、ビールのつまみに食うのは好きなんだけどなぁ。
4月19日(土) 昼下がり
ハプニング!
食事が終わり青葉城址公園を後にした我々。高速道路に乗るために予定通りのコースを走っていた。しかし……。
飽きてきたのか泣き喚く乳児。泣き声にイラつくドライバー。拉致があかないのでクルマを止めて子どもをおちつかせようと、路肩に停車。
クルマを降り、チャイルドシートから子どもを下ろし、泣き止ませるために抱っこしながらふと見ると、左後輪がバーストしていた。歩道に乗り上げる際の角度が悪かったのか、サイドウォールを切っていた。ア然とする同乗者たち。さらに不機嫌になりながら1人でタイヤを交換するドライバー。

カーナビで近くのカー用品店を検索し、タイヤを購入。工賃などを含め14000円の出費。交換の間、近くにあるファミレスで時間をつぶす。パンク、カー用品店探し、タイヤ交換で2時間ほど時間がつぶれ、予定はすっかり台無しになる。
4月19日(土) 夕方
臨機応変な対応
さっそく予定が狂ってしまったので、初日夕方に立ち寄るつもりだった一関を素通りし、一気に盛岡まで攻め込むことにした。東北自動車道を一息で北上し、19時には宿泊地である盛岡市内のビジネスホテルに到着した。
4月19日(土) 夜
盛岡の機関銃に挑む
開戦前、余裕の笑顔を見せるYukky隊員。 戦闘中は店より支給の勝負服(まえかけ)を着用。
20時、同じく盛岡市内にある直利庵というそば屋に入る。もちろん、盛岡の機関銃、わんこそばに勝負を挑むためだ。私はもとから真剣勝負などする気はなく、ビールを飲みながらのんびりそばをつまみ、仲間の戦いを見守るつもり。夏隊員は、座り込んでただ不思議そうに眺めるばかり。

勝負服を着用し、いざ開戦。

緒戦から快調に戦績を上げるのはさーら隊員。敵の銃弾を次々に浴びながら倒れる様子を見せない。Yukky隊員も出足は悪くなく、前向きに銃弾を受ける。私はといえば、早々にビールを1本飲み干し2本目を注文。戦意ゼロ。胃はそばではなくビールの炭酸でふくれつつある。

中盤、Yukky隊員の戦意にかげりが見え始める。「おかしい、おかしい」を繰り返しつつ健闘するも、58杯で倒れる。この頃、さーら隊員はすでに70杯を越えており、私もまもなくYukky隊員の戦績を追い抜いた。

後半、敵の攻撃目標がさーら隊員から私に移りはじめた。「唯一の男性だから、一番多くの銃弾を受け、戦績をあげさせよう」というまったくの余計なお世話やさしい心配りだろう。いつしかさーら隊員と僅差にまで戦績を伸ばし、胃はビールとそばでいっぱいいっぱいになった。

そして、ついに勝負は決した。さーら隊員の記録、85杯。私の記録は88杯。僅差とはいえ、最も戦意の低かった男が結果的にはトップの戦績を収めたのであった。立派な戦績を収めることができたのは嬉しいが、そばに胃を占領されビールを飲みきれなかったのが心残りであった。
4月19日(土) 夕食後
夜桜を楽しむ
盛岡には石割桜という有名な桜の木がある。文字通り石を割って生えている桜で、実際に目にするとなかなか壮観だ。
石、というかこの大きさだと岩だと思うのだがそんな細かいことを東北人は気にしない。長い冬が明け、雪をかきわけ石まで割って桜が芽吹いている。この生命の躍動を前に、「石か岩か」などという議論など無意味だ。石だって岩だって違いはない。どうせはっきり発音しないんだから石も岩もおなじようにしか聞こえない。

ホテルへの帰り道で酒を買ったが、ホテルに戻って酒盛りをする気力はすでになかった。すべての気力はそばに費やされ、残りの体力はそばの消化に注がれていた。軽く飲みつつ翌日の予定を相談しただけで、各自部屋へ戻り就寝となった
一泊!
4月20日(日) 早朝
田沢湖へ向かう
朝一番にホテルを出発し、田沢湖を目指す。途中、小岩井ファームのそばを通るが、牛乳対決はまたの機会にすることに決めて素通り。
田沢湖を少し過ぎて山にさしかかると、景色のいい展望台が見つかった。湖を見下ろし、山あいの景観を楽しみつつしばし休憩。

しかし、この朝からのドライブ、田沢湖が目的地ではない。一休みしたらさっさと出発だ。
4月20日(日) 朝
乳頭
乳頭温泉の最も奥まった場所にある蟹場温泉。 初公開!? さーら隊員、Yukky隊員の入浴シーン。
目的地である乳頭温泉にたどりついた。目指す温泉宿「蟹場温泉」は乳頭温泉の最も奥まった場所にある。乳頭温泉へ向かう道を行き止まりまで進めば蟹場温泉。もちろん、どうでしょう班が入浴した露天風呂だ。

露天風呂は混浴になっているので、ともに旅をする仲間が離れ離れになることなく、気持ちいい時間を一緒に過ごすことができる。もちろん、夏隊員も一緒だ。
カラスの行水で知られる私も露天風呂となると別だ。風に吹かれながらの入浴はのぼせることもなく快適。湯につかりながらのビールも最高。
4月20日(日) 午前
桜前線(があった場所)を追う
モニターと景色を見比べ、目的のポイントを探して走り回る。
露天風呂でリフレッシュしたら、今回の旅の最大の目的である「どうでしょう班が取ったときに桜前線があった場所」の捜索に出発。

今回の秘密兵器はカーナビのモニターに接続したDVDプレイヤーと、どうでしょうを録画したDVD。目印になるシーンでDVDを一時停止し、同じ景色を探しながら田沢湖町を走る。これは、と思う景色に出会ったらクルマを停めて検証。こんな方法で意外と見つかるものなのだ。
しかし、目安もなにもなくては見つからないので、まずは道を選択した。どうでしょう班は蟹場温泉から盛岡へ戻る道で前線を発見したのだから、このときに通る道を考えればいいのだ。幸いにして場所が山あいということもあり、道はあまり多くない。我々は県道38号線から国道341号線に向かう道を選択した。どうでしょう班があまり深い考えを持って道を選ぶことはないだろうという憶測のもと、もっとも分かりやすい道を選択したのだ。

その選択が間違っていなかったことは、数十分のうちに
証明されることになった。
収録当時、つぼみが発見された道端の桜。 ついに、千葉憲一さん宅を発見! これが、収録当時最前線だった桜。
4月20日(日) 昼
空飛ぶだんご
臨機応変な対応により昨日立ち寄りを断念した厳美渓に赴き、空飛ぶ郭公だんごを味わうことに。
お店に並ぶこと10分あまり、我々の順番が来てだんごを購入。夏隊員はだんごを食わないので、3串の皿をひとつもらった。1人1串ずつ味わえば十分だろうという、いかにも腰の引けた注文だ。前日のずんだとわんこにやられまくった我々は、すっかり恐れおののいていた。

驚いたのは、団子屋がとても混んでいたこと。自分たちもわざわざ関東から来ているくらいだから観光客がうじゃうじゃいても別に驚かないのだが、並んでいるのはほとんど地元の方だったのだ。みんな、ごく普通に、休日の昼食としてだんごを買いに来ているのである。
しかも、3人で3串の皿をひとつ頼む我々を尻目に、地元の方々は大量に購入していく。持ち帰りで数パック購入して持ち帰るのは家族が多いためと好意的に考えることもできる。しかし、杖をつきながら散歩してきたじいさんばあさんが5串の皿をひとつずつたいらげるのはどうしたことか。家族の分を購入する人にしたって、5串を10パックは多すぎるだろ。何人家族なんだ。

大体、なんで昼飯にだんごなんだ。おかしいだろ。そしてなぜそんなに大量なんだ。
この辺りから、既に我々はモチ文化の根深さ、恐ろしさを感じ始めていた。しかし、その真の恐怖を味わうのは、まだ後のことになる。

ともかくだんごを購入した我々は、さっそく味わってみることに。試食のプロでない我々は慎重にだんごを検証し、少しずつ口に運んだ。コシがない。番組中で大泉も言っていたが、本当にコシがない。味はまぁ普通なんだが、とにかくコシがない。
大体、カタチがおかしい。普通だんごってのは粉をこねて丸めてゆであげるものだから、球形になっていなくてはおかしい。しかし、郭公だんごは円柱形だ。粉をこねて棒状にしたものをゆであげ、それを切っているのだと思われる。
厳美渓の名物、「空飛ぶ郭公だんご」に到着。 東北生き地獄ツアーの際の記念写真が飾られていた。 飾られていた写真。
4月20日(日) 昼食
モチ文化
モチだけでは腹が減るから何か食おうと、一関の市街へ出てることになった。市街地へ向かうクルマの中で、さーら隊員とYukky隊員がガイドブックで食事のできる店を探す。一関はモチがうまいのだそうで、モチやだんごを食わせる店ばかり掲載されている。しかし、今さっきだんごを食べたばかりだ。そばとかなんかそういうものはないのかとがんばって探す。

一軒ビアレストランが紹介されていた。造り酒屋の敷地内にある、地ビールを飲ませる店。ガイドブックの記述によれば、オススメは「もち膳(もち6種)」。いやいや。食事したいんだってば。大体ビアレストランでもち膳って何だよ。でもまぁ、まさかモチだけということはあるまい。和菓子屋よりマシだろうということで、そのビアレストランを目指すことにした。

到着したお店は、蔵を改装した小じゃれた外見。店に入れば店員が来て「食事の時間は終了してしまい、お酒とおつまみだけになります」などと言う。つまみだけっていったって普通軽食くらいあるだろと思ってメニューを見せてもらうとモチ、ソーセージ、ビーフジャーキーなどが並んでいた。おいまて。モチって酒のつまみか?

うんざりしながらビアレストランを後にした我々は、せめて土産の地ビールだけでも買おうと酒屋の方へ。ビールを買うついでに「どうせなのでこの辺のおいしいもので昼食にしたいんですが、何かありませんか」と聞くと「この辺の郷土料理といえばモチですね!」の答え。だからモチはもういいって。大体、郷土料理って……。モチって料理か?

心底うんざりした我々は、高速道路に向かう途中で見かけたファミリーレストランで適当に飯を食ってしまった。
4月20日(日) 夕食
ギョウザ文化
昼食後、ただひたすら東北自動車道を南下し、20時には宇都宮に到着。ギョウザで夕食となった。ギョウザは思いつきで立ち寄っただけのことで、どうでしょうは無関係。
4月20日(日) 深夜
最終決戦
Yukky隊員の家近くまでたどりついたところで、コンビニに立ち寄り「白熊バー」を購入。次回企画をかけたさーら隊員対Yukky隊員の最終決戦が行われた。

さーら隊員が勝利すれば、次回は何の見所もない群馬に赴き、水曜どうでしょう絵葉書の旅(1)で最初に訪れた地蔵を探す旅に出る。Yukky隊員が勝利すれば、2003年冬からどうでしょうリターンズも放送されるようになった名古屋へ赴き、藤村Dの実家を探す旅に出る。

レディ、ゴー!
黙々と白熊バーを食べる2人を見ながら、審判(私)もおもむろに白熊バーを食べ始める。

結果は……。
なんと最初に食べ終わったのは審判(笑) しかしこれは勝負とは無関係。だって審判だもの。
決戦に勝利を収めたのは……Yukky隊員! よって、次回の旅は名古屋と決まった。めでたしめでたし。群馬じゃなくてよかった。
4月21日(月) 未明
帰還
Yukky隊員離脱後、ドライバーが眠気に勝てず何度も休憩。仮眠もとったおかげで木更津本隊の帰還は明け方4時。
昼食以降写真さえ撮っていないあたりで、疲れも伝わるだろうか。