さて…。シーズンですから。今クールの新作TVアニメについての感想をお届けしますよ。私のような非オタクの感想なんて何の参考にもならないでしょうけど、お届けしますよ。いらないって言われてもお届けしますよ。
萌えよ剣…部隊は江戸から明治に入ったばかりの京都。時代物は基本的にパスなんだけど、これはもうちょっと見てみたいカンジ。ちょっと前に大流行だった陰陽師や式神がメインではなく、新撰組の話題なのだ。ドラマなどで新撰組が流行った頃に某劇団が「LOOSER」という舞台をやっており、それをビデオで見たこともあったりして、陰陽師よりは新撰組の方が興味が持てるというのがひとつの理由。もうひとつは、キャラ原案が高橋留美子であるということ。最近、高橋留美子の絵って見ていなかったからなんだか懐かしくて(笑)、もうちょっと見てみようかなと。
アクエリオン…1話では全然わからんなぁ。キャラ萌え度も低いし。連続視聴するかどうかは、もう1〜2話くらい見て、話の流れをつかんでから考えよう。
かみちゅ…いいです。神様で中学生だからかみちゅ。ほのぼの感がいいです。「私、神様になっちゃったの。でも、何の神様なのかわからないの」っていうとぼけっぷりが素敵。こんな神様なら俺もがんばってお祀りするよ!視聴決定。
おくさまは女子高生…いやー、どーなんだろ。幼な妻系は萌えないんだよなー。パス。
ついでなんで最終回を迎えたアニメについても触れとくか。
ラブレス…結構面白く見ていたのに、なんか尻切れトンボな終わり方…。謎を残しすぎじゃないか? 原作の連載が続いているからかな。気になる。こうして気になって原作コミックを買っちゃうと出版社の思うツボなんだよきっと。本屋に行かなきゃ。
フタコイ オルタナティブ…すんません、どうしても耐えられなくて途中で数話トバしました。って、別に誰かに謝るようなことじゃないけど。で、最終回だけ見た(笑)
さっぱりわからなかった。まぁそんなもんか。
ネギま…結構熱心に見た(笑) ばかばかしいノリがよくて。最後の数話は展開が早すぎるような気がするが、つまらなくはなかったし、それなりに楽しめる最終回だった。
最近、TVアニメの最終回近辺の数話で軽い感動を覚えることがある。魔法少女や女子中学生の成長と非現実的な予定調和に心を打たれるアニメ野郎としてより一層の成長TV見て感動するなんておやじ化したのかなぁ。
それから今日の話題としてもうひとつ。随分ひどい文章のSPAMが来たのでさらしとく。
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2005年いよいよカラダ恋愛が主流になってくるだろう!カラダ恋愛とは「もちろんカラダだけの付き合い」の事だが女性が社会進出が気没になってきてる状況下結婚などが更に煩わしいイベントとして考えてくるようになってきた。しかしながら性欲だけは抑えられず付き合いでもなく結婚する訳でもなく都合がいいときだけSEXをしたい…そんな女性が後を絶たなくなってきてる。
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ただ、携帯での出会いサイトはサクラが多くて困るし 話にならない。出会えたためしはほとんど無い。 出会いサイトとは言えないが…でも出会える。
そんな「カラダ恋愛主義」に特化したサイトがある。
<URL>
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うんざりする。「カラダ恋愛とは『もちろんカラダだけの付き合い』の事だが女性が社会進出が気没になってきてる状況下結婚などが更に煩わしいイベントとして考えてくるようになってきた。」
ってどういう意味だ。日本語の文であるという前提で解析してみると、「カラダ恋愛とは『もちろんカラダだけの付き合い』の事だが」、「女性が社会進出が気没になってきてる状況下」、「結婚などが更に煩わしいイベントとして考えてくるようになってきた。」の3つの文が複合化した重文、複文であると推測できる。
最初の文には「カラダ恋愛とは『もちろんカラダだけの付き合い』の事だが」とある。最後の「だが」は文を複合化させるための接続詞なので、これを終助詞「だ」に置き換えて、一文として考察する。「カラダ恋愛」を主語とし、その状態を示す基本的な文だが、言っている内容はにわかに理解しがたいものだ。「JUSOとは呪う行為のことだ」という文と同じ構造であると言える。例文では「JUSO」=「呪う行為」ということになる。同じ構図をSPAMの文に適用すると「カラダ恋愛」=「もちろんカラダだけの付き合い」ということになる。ここで重要なのは、SPAMの文で述べられているのは「カラダ恋愛」=「カラダだけの付き合い」ではないということだ。「もちろん」という部分は「自明のことだが」という説明として挿入されているのではない。「もちろんカラダだけの付き合い」までがまとめられ、カッコでくくられ、副詞的役割を得ているのだ。では、「もちろんカラダだけの付き合い」とは何であろうか。「カラダだけの付き合い」なら、わかる。が、「カラダだけの付き合い」と「もちろんカラダだけの付き合い」との違いが俺にはわかりかねる。わからないということがわかったところで、次の文に進む。
次の複文要素は「女性が社会進出が気没になってきてる状況下」だ。これも最後の「状況下」を「状況だ」と置き換え、一文として考察……、いや、考察する気にもならないな。だって、意味がわからなすぎるんだもん。でもがんばって考察してみよう。主語は「女性」と「社会進出」だ。2つもある…。述部は「気没になってきてる状況だ」ということになる。意味がわからん…。あまりに意味不明なので、「気没」を辞書で調べてみることにする…該当単語の掲載はなし。日本語の文であるという前提に自信がなくなってきた…。前後から類推するに、「神出鬼没」という言葉の音だけを知っていて、正しい意味も用法も知らずに、なおかつ「進出」「気没」とめちゃくちゃな漢字を当てて使ってみたのではないだろうか。ということで、この部分に「神出鬼没」の意味を当てはめて解釈してみるか…いや、そうすると「社会」の行き場がなくなる。うむー。手詰まりだ。この部分もわからないということがわかったところで、次の文に進もう。
最後の文は「結婚などが更に煩わしいイベントとして考えてくるようになってきた。」だ。主語は「結婚など」だ。今回はひとつなのでわかりやすくて助かる。述部は「更に煩わしいイベントとして考えてくるようになってきた」であり、文法上の問題は少ない。少ないだけで、まったくない訳ではない。「更に煩わしいイベントとして考えてくるようになってきた」対象が明示されていないのだ。何について煩わしいイベントであると考えているのかがまったく不明だ。とにかく、「結婚など」が、何かを「煩わしいイベントであると考える」ようになってきているということだ。わかったようなわからないような話だ。
無理やりまとめて、補足を加えつつ全体の意味を解釈してみると次のようなことであろうか。
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このSPAMで話題としている「カラダ恋愛」というのは、もちろん「もちろんカラダだけの付き合い」のことだ。女性が気没(解釈不能)になってきて、社会進出も気没(解釈不能)になってきているという状況がある。そうした状況のもと、結婚というもの自身が色々なことを考え、何についてだかわからないが「どうにも煩わしくなってきちゃったなぁ」と思い始めるようになってしまった。
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いやぁー。まったく意味がわからんなぁ。
もっとつっこみたい部分はあるのだが、前半の一文を解釈するだけで疲れてしまったので、もうここまででいいや。あとはそれぞれ心の中でつっこんどいて。
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